発展途上国は今後、制裁措置と輸出制限の拡大に対処するための支援を必要とする
世界貿易機関(WTO)は、目まぐるしく変化する地政学的情勢のなかで、機関の役割を定めることに苦闘している。多国間体制は今、貿易戦争と実際の戦争の両方がもたらす影響の中を乗り切ろうとしている最中である。各国の現状維持に貢献できればWTOにとっては御の字であり、近い将来に貿易自由化を促進することはひとまず脇に置いておくべきだ。
禁止、管理、制裁といった輸出制限の再燃は、規則に基づく貿易体制にとって特に大きな懸念事項のひとつである。新しく多種多様な状況で、報道の見出しを飾るような政策が打ち出されている。こうした政策を前にして、各国は追加措置を講じざるを得ないこともあり、しばし他のWTOルールに抵触しながら、さらなる制限に晒されないよう自国の保護に努める。これが悪循環のリスクを引き起こしている。
WTOは引き続き加盟国に対して輸出制限の利用を限定するように促すべきであり、制限を実施しなければならない場合には、制限対象を定めて暫定的な措置に留めるよう奨励すべきであろう。くわえて、厄介な分野にも足を踏み込んで新しい取り組みに着手し、特に貿易体制の最脆弱国を保護していくべきだ。
豊富な事例
輸出制限は今に始まった問題ではない。懸念されているのは、制限が深刻化することだ。WTOが対峠している種々の課題は、さまざまな要因から生じたいくつかの事例を見れば説明できる。
2007年から2011年に一次産品価格が急騰した際には、各国が広範に渡る農産物に輸出制限を課した。これは世界の物価上昇に拍車をかけ、食料不安を招く結果となった。そこから得られた政策面のプラス成果が、主要20か国・地域(G20)の農業大臣による農業市場情報システム(AMIS)の立ち上げであり、同システムは世界の食料在庫のモニタリングを改善した。気候危機をはじめさまざまなショックに世界が直面する中で、農業の輸出制限は依然として恒常的な懸念事項であるものの、モニタリングの情報はシステム設立以降、不確実性を減らし、農産品の輸出制限の永続的なサイクルを抑えてきた。新型コロナのパンデミックやロシアのウクライナ侵攻など、圧力を伴う出来事が次々に生じたにもかかわらずである。
過去を振り返ると、中国は、国内の一時的な物価圧力に対処するためなどに、さまざまな政策を講じて原材料やその他の重要材料に輸出制限をかけてきた。輸出制限によって国内市場に供給品が回ると、中国の川下産業は暗黙の助成金を受け取ることになり、国外の競合他社に対し有利な立場に立てる。こうした行動は、中国が2001年のWTO加盟時に掲げた、輸出を制限しないという誓約に違反している。中国はこの問題を巡り公式なWTO紛争に2度敗訴しており、2016年に3度目の紛争に直面していたところで、アメリカが紛争解決制度の利用を完全に断念した。
2021年4月、インドは突如として新型コロナワクチンの輸出を禁止した。公衆衛生上の動機は理解できるものだった。というのも、インドでは国内に感染の波が襲来していたからだ。問題は、インドの製造設備がビル&メリンダ・ゲイツ財団などの国外事業体に補助金を受け、COVAXに1億回分のワクチンを誓約していたことだった。COVAXとは、数十か国の低所得国へワクチンを提供するために設立された多国間の枠組みである。インドのワクチン輸出停止に伴い、COVAXが暗礁に乗り上げたことで、別の国でもワクチン製造の迅速化支援に活用できた国際的な拠出金が、事実上徴収されてしまった。
2022年には、ロシアが天然ガス輸出を武器として利用した。ウクライナ侵攻に伴い、ロシアはパイプラインを通じた欧州へのエネルギー輸送を停止し、ロシア産ガスに依存する国へ政治・経済的な圧力をかけたのだ。こうした脆弱性の影響力を認識した国々は、対応策として、「懸念国」から同様の重要産品の調達を縮小する政策を成立した。 現時点で最も際立った例が、2022年の「インフレ抑制法」で差別的な税額控除インセンティブを設けたアメリカの決定である。これは電気自動車バッテリーの材料調達をロシアと中国から移行することを狙ったもので、現在の製造のほとんどが両国で行われている事実に鑑みれば、大きな犠牲を伴っている。
最後に、アメリカや他の先進工業国は、国家安全保障に必要な措置だと主張してハイテク製品に輸出制限を課してきた。こうした措置は、戦争行為の後など、時として事後的に課される。例えば、多数の国が戦争を終結させるためにロシアへのハイテク製品の輸出を禁止した。一方で、輸出制限は事前的に課される場合もある。 日本とオランダを例に挙げると、両国は、中国の習近平国家主席による「軍民融合」政策への対応として、先進的なノード半導体の製造に使用される機材の輸出を共同で制限することにアメリカと同意した。
拘束力の弱いルール、限られた経験
各国の輸出制限を限定するWTOのルールは拘束力が比較的弱い。
例を挙げると、関税および貿易に関する一般協定(GATT)の第11条では、「食糧その他輸出締約国にとって不可欠の産品の危機的な不足を防止し、又は緩和するために一時的に課す輸出の禁止又は制限」(傍点は筆者が追記)に例外を認めている。ところが、「不可欠の産品」には定義が与えられていない。さらに、第21条は国家安全保障上の例外を定めており、安全保障の基幹的な利益を保護するために必要だという理由で、各国が政策の発動を正当化できるようになっている。
実際問題として、冷戦中に発展した多国間貿易体制では、輸出制限や軍事的な敵国、関連の制裁といった難題について、本格的な対処を強いられる状況が一度も生じなかった。こうした課題は、中国(2001年)とロシア(2012年)がWTOに加盟した頃にはほとんど過去のものとなり、今日ようやく顕在化したのである。
ではWTOはどんな役割を果たすことができるだろうか。
国家安全保障の領域を除けば、各国政府はしばし、情報が不足して供給不足を恐れるときに新たな輸出制限を実施する。従ってWTOは、こうした状況を可能な限り減らすべく、AMISのような、市場の監視と透明性に関する追加のイニシアティブを促すべきだ。
安全保障関連の懸念に基づく政策行動になると、課題は複雑である。こうした行動に対して、加盟国が公式なWTO紛争解決を通じて異議を唱えても、その結果生じた法的裁定には、すでに逼迫している多国間体制にさらなる負担をかける以外の成果がほとんどなかった。そこで、アメリカはWTOに対する最近の声明で、不利益を被る貿易相手国が訴訟ではなく「非違反」申立てと呼ばれる要求を追求すべきだと提案した。
基本的な発想はこうである。ある国が国家安全保障の保護を政策の根拠に引き出す場合、紛争は直ちに仲裁へもち込まれ、貿易の「バランスを取り戻す」ための譲許が行われる。その際には、WTOの互恵主義の原則に従う。すなわち、ある国が輸出を制限しようとすれば、その貿易相手国も同様の措置を行うことが予想されて然るべきだという原則である。この報復には、さらなるエスカレートを防止する制度的な利点がある。
こうしたコストが伴うとなれば、国家安全保障を目的とする輸出制限の乱用を踏みとどませる追加のインセンティブとなるだろう。実施まで何年も待つ通常のWTO訴訟手続きと異なり、仲裁への移行が迅速に行われるならば、一層の効果を発揮するはずだ。
新たな脆弱性
ロシアのウクライナ侵攻を背景に生じたさまざまな制裁と輸出制限は、「非同盟国」である発展途上国に深刻な影響を与えている。能力に制約のある国がこの新たな環境の舵取りをする上で、WTOにはどのような手助けができるだろうか。原則として、多くの国は中立でありたいと考えているはずだ。現実的には、各国が意図せずに違反を犯し、二次的制裁として罰則を課されることを防止するには、何らかの措置が必要である。以下の3つの事例は、この課題が複雑であることをよく示している。
第1に、ロシアが世界の主要供給国である食料と肥料を見てみよう。例えば、ロシア産の小麦を世界市場から締め出すと、世界の食料安全保障に悪影響が及ぶだろう。制裁を行う国々は、当初からこうした産品を取引することが法的に問題がないことを明白にしようと努めてきた。食料やその他の人道支援物資に関しては、制裁に例外が設けられている。
第2に、原油と石油製品の貿易については事態がより複雑だ。ロシアのエネルギー供給を世界市場から排除すれば、物価上昇を招き、世界経済に圧力を加えることになる。そこでG7の国々は、上限価格を下回る取引に限り、ロシア産の原油と石油製品の購入を促す計画を策定した。このプロセスを遵守するのは容易でない。潜在的な買い手国は、数多くの情報を把握し続ける必要があるからだ。上限価格の水準が変更される可能性もある。しかし、上限価格で取引できる国々の間には極めて大きな経済的格差があるかもしれないうえに、この価格は他の調達源のエネルギーへアクセスするための価格を遥かに下回っているため、経済発展の観点から見ればプロセスを遵守する意義はある。
その他に第3の事例として、貿易が厳密に管理されているデュアルユース物品がある。半導体のようなハイテク材料を例に挙げると、これらは非常に小型なものが多く、他の産品に組み込まれ、民生と軍事の両用途(「デュアルユース」)に利用可能である。アメリカが輸出制限対象の産品を第三者国に輸送するとき、その国は米国法の下、当該産品を再輸出できないことが多い。例えばロシアや、軍事供給者などのロシアの特定エンドユーザーには、再輸出できない。
それでいても、第三者国の企業はしばし、仲裁に持ち込み貿易を円滑化しようという強い経済的インセンティブを抱えている。しかし自国政府が制裁を課す同盟の一員でない場合、企業はそうした取引に伴う影響を完全には把握していないかもしれない。
こうした国々は、自国のもつ権利と、選択に伴うトレードオフを理解するための支援を必要とするだろう。例えば、政府は自国の企業が規制対象の産品を再輸出しないように、国内審査手続きを規定したいと考えているかもしれない。一方で、法的助言を利用できない国は、過剰に規制を遵守してしまう恐れもある。合法なのに取引を控えることにも、コストが生じるのだ。
最脆弱国への配慮
WTO体制には、過去の経験を活かして貢献できる取り組みがある。
第1に、WTOは貿易円滑化協定を通じて手続き上の障壁を軽減し、発展途上国の貿易を後押ししてきた。同様に、WTOが国境管理官と協力すれば、加盟国の制裁遵守を支援できるだろう。煎じ詰めると、制裁を遵守すれば、その国はたとえ規制障壁で一部の貿易が停止しても、二次的制裁に罰則を課されずに残りの貿易を継続できるのだ。
第2の問題の公平性については、WTOの姉妹機関であるWTO法アドバイザリーセンター(ACWL)から得た教訓が役に立つ。ACWLは、豊富な補助金に基づく法的支援を貧困国に提供することで、各国がWTOルールに従う努力を支援するだけでなく、過去20年以上の間に、数十件もの公式なWTO紛争解決手続きで貧困国の代理を務めた。
さらに、ACWLは、利益相反を巡る潜在的な懸念を解決する統治ルールを確立している。ACWLの制度では、ACWLがある訴訟で原告の発展途上国を支援する一方、同国が被告の立場にある別の訴訟で原告の発展途上国を支援できる仕組みになっている。このように、ACWLは健全な法的助言を提供し、政治から距離をおいて、時には政治的に不人気な政策立場の訴訟当事者も支援できる仕組みを整えている(国内の訴訟において国選弁護人に、凶悪行為で告訴された顧客の代理を務める義務があるように)。
当然ながら、補助金に支えられた法的支援を制裁や輸出制限の遵守について行うことは、政治的にデリケートな問題である。しかし、能力が限られ、資源に乏しい国々にとって、この問題を無視すれば深刻な経済的影響を招きかねない。制裁と輸出制限が広がる新しい地政学的世界において、貿易環境は厳格に法が適用されて費用のかさむ方向へと着実に進んでいる。経済発展につながる貿易を継続する上で、新興市場国はますます法的助言を必要とするだろう。
その他の背景
錯綜としているロシアの状況も、問題のひとつに過ぎない。戦争行為という枠を超え、例えば、将来的な紛争を防止するための輸出制限にテーマを移せば、事態はさらに複雑だ。中国への販売に影響を与える輸出制限について、類似の課題を思い浮かべてみるといいだろう。
以上が世界の大部分、そして大半のWTO加盟国が現在抱えている懸念事項である。WTOは、国家安全保障の名のもとで政策を実施する国には干渉できない。しかし、無実の第三者が無実の第三者のままでいられるように支援し、グローバル化の恩恵を維持および拡大するためにできることはまだまだ残っている。
記事やその他書物の見解は著者のものであり、必ずしもIMFの方針を反映しているとは限りません。