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人生経験の長さが現実の経済的成果を左右するのは、政策当局者も消費者も同じである。

1929年10月29日、米国では狂騒の20年代が突然終わりを迎えた。「暗黒の火曜日」と称される米国株式市場大暴落が発生し、その後1950年代までの長きにわたって、株価が1929年のピークに並ぶことはなかった。

世界恐慌がその後に及ぼした影響は、株式市場にとどまらなかった。炊き出しに並んだり、スラム街で寝たりする人々の胃袋も痛手を被ったのだ。世界恐慌の中で育った「大恐慌世代」は、並外れて質素で、リスク、とりわけ株式市場のリスクを嫌う世代となった。人々が経験したトラウマは、世代全体を変え、彼らの信念や世界観を変え、金融市場や労働市場、人生のその他多くの側面における彼らの経済的選択を変えたのである。

経済科学においては、大恐慌世代が行動経済学研究の新しい波の対象となった。行動経済学は、原点である心理学や経済学に加え、隣接する社会科学や自然科学からも知見や手法を取り入れることにより、研究の分野が拡大している。トラウマ、ストレス、依存症、メンタルヘルス、子どもの発達に関する新しいトピックや手法の多くは、本質的に政策に焦点を当てたものだ。それらは、アン・ケースとアンガス・ディートンが 21世紀における「絶望死」と称したもの、そして根強いジェンダーロール や人種差別に直結している。

行動経済学の始まり

だがその前に簡単に起源の話に触れたい。50年以上前の1960年代後半には、経済学分野は数学的な厳密さとモデルに満足しており、ポール・サミュエルソンやミルトン・フリードマンをはじめとする当時の最も著名な経済学者たちは、自分たちが心理学者というよりも物理学者に近いと感じていた。しかし同時期に、ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーという2人のイスラエル人心理学者がエルサレムのヘブライ大学で出会い、やがて経済学の現状を変えることになる共同研究を始めた。彼らの業績の中でも最も有名なのはプロスペクト理論で、1979年に提唱されたこの理論は、非常にもっともらしいが従来の経済学とは矛盾するようないくつかの法則を組み合わせて、人がリスクに直面したときにどう意思決定するかを説明した。法則のひとつは、人はごくわずかな確率を過大評価し、起こりそうな出来事を過小評価する傾向があるというものである。(飛行機墜落事故のわずかな確率に不安を覚えたことはないだろうか。カーネマンとトベルスキーが言っているのはそういうことだ。)プロスペクト理論が見抜いたもうひとつの法則は、人は相対的な富の変化を気にし、損失を忌み嫌うというものだ。(もし20ドルを失ったら、たとえそれが自分の総資産にほとんど影響を及ぼさなくても、悔しく思うかもしれない。)プロスペクト理論だけでもノーベル経済学賞に値するとみなされたが、カーネマンとトベルスキーは、経済的思考に対する「ヒューリスティックスとバイアス」に関して他にも多くの心理学的洞察をもたらした。

ひとたび行動経済学の炎が灯ると、その灯火は経済学や金融の研究者たちへと引き継がれ、研究が続けられた。2017年にノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーは、 カーネマンとトベルスキーと共同で研究に取り組み、のちに、1月は株価が上がりがちなのはなぜかなど、心理学を用いない経済学では説明できない現象について、「アノマリーズ」と題する特別コラムのシリーズを発表した。

当時の行動経済学は、アノマリー(変則)を特定し、それを説明するための心理学的解答を提示することに重点を置いていた。理論的なモデルが整うと、2000年代の行動経済学の第二の波では、しばしば現実世界に大きな影響を及ぼす行動バイアスを実証的に記録し、経済学研究の他の分野に取り入れていくことが重視され始めた。例えば、開発経済学における重要な謎のひとつに、なぜ肥料散布のような有益な投資機会の利用率が低いのかというものがある。人は自分の相対的な富の変化を非常に気にし、損失を嫌う(肥料を与えても作物収量が増えない場合など)という洞察は、この謎を説明するのに役立つだろう。

実際、行動経済学は、この行動研究の第二の波の間に、金融、労働、公共、開発、マクロなど経済学のほぼすべての分野とすっかり融合したので、「仕事は済んだ」と思った人もいたかもしれない。私たちは、常に最適な選択をする経済人で人間というよりコンピュータのような古典派「合理的経済人」に心理的現実感を吹き込んだのである。

心と身体

しかし問題がある。合理的経済人をコンピュータと考えるならば、行動経済学は、そのコンピュータがソフトウェアに欠陥を抱えていて時々ショートする可能性がある、という考え方を持ち込んだのだ。とはいえ、そうした欠陥があっても、合理的経済人という行動エージェントは、多少誤動作はするもののコンピュータであるという見方に変わりはなかった。やや過度な楽観主義や新近効果、サンクコストの過ちを含むなど、どのようにそのプログラムが設定されているにせよ、その行動エージェントが どう行動するかは、プログラミングによって永遠に規定される。

そしてそれは、大恐慌世代で起こったこととは明らかに違うのだ。大恐慌世代の経験は、彼らを大きく変えた。実のところ、どの世代にも、その世代を変えた共通体験があるのではないだろうか。だからこそ、第二次世界大戦後のベビーブームに生まれた世代を指す「ベビーブーマー」など、各世代に名前が付けられているのである。

これが、行動経済学の最新の波がこの分野にもたらそうとしているものだ。人間には欠陥のあるソフトウェアを搭載したコンピュータのようなところがあるとはいえ、人間はコンピュータ以上の存在だ。人間は、生きて、呼吸し、それぞれ固有の人生経験の影響を受ける生物なのである。医療経済学や神経経済学などの分野では、多くの経済学研究者たちが、私たちの身体を司り脳を配線しなおす生物学的メカニズムを無視することはできない、と長年にわたり主張してきた。私たちは今、欠けている部分をより体系的に見ることができるようになった。人間には心と身体があり、人間の行動を説明する経済学ではその両方を考慮する必要があるのだ。

この洞察は、私たちが経済学をよりよくするためにどう役立つだろうか。話を大恐慌世代に戻し、彼らの世代に起こったことを経済学研究がどのように概念化してきたかを考えてみたい。神経科学や神経精神医学の研究によれば、私たちの配線のされ方は、過去の個人的経験によって変わる。数十年にわたる神経可塑性の研究で、人間の脳は新しい経験に基づいて経路を絶えず再編成するということが立証されている。脳が特定の経路をより多く使うようになると、それらの経路は強化される。その一方で、あまり使われない経路は剪定される。そのようにして世界恐慌は、飢餓やストレスという影響に加え、人々の脳にも持続的な影響を及ぼしたのだ。世界恐慌の経験は、金融市場の現実的な危険性と、それが生計を立てる能力を危うくしかねないことを露呈した。その結果、1930年代の世界恐慌のときに10代や20代前半だった人たちは、その後の人生で株式市場への参加が格段に少ない傾向にあった。少しでも株式市場に投資した人の割合はわずか13%で、これはその後のいずれの世代の割合と比べても半分以下だった。

経験の影響

経験の影響という概念は、個人的人生経験が人の信念や意思決定に持続的な影響を与えることを定式化したものである。それは、人は利用可能なすべての情報を使って信念を形成するという従来の経済学的考え方に異を唱えるものだ。リスク下での人の思考や意思決定を、人は過去に自分が見た結果を重視するものとしてモデル化するのがひとつのアプローチだ。株式市場の大暴落を目の当たりにしたことがある場合、人はそれが再度起こると思い込み、さらには、そのリスクが高いと考える。実際に、米国株式市場投資に関する数十年間のデータでそれが確認されている。前の数年間に株式投資から得られたリターンが低かった人は、株式市場に投資する傾向が低い。良い経験をした人は、投資する傾向が高い。

しかしながら、経験の影響は最近の過去に起こったことだけに関するわけではない。重要な洞察のひとつとして、各世代は形成のされ方が異なるため、同じ最近の出来事に対して異なる反応を示す可能性があるというものがある。ある金融危機と株式市場暴落に対して、60歳と30歳の人では反応が大きく異なるだろう。それは単純に、60歳の人ははるかに多くの人生経験を積んできており、直感的にそれらすべての経験の平均値をとるからだ。それに比べると30歳の人は経験が少ない。そのため、30歳の人の人生では最近の危機がより大きな割合を占めていて、その人の思考や意思決定ではより重視されるだろう。だからといって、単純な新近効果についてカーネマンとトベルスキーが間違っていたと言っているわけではない。むしろその逆だ。人は明らかな新近効果を示し、とても古い情報よりも最近の情報を重視する。ただし重視されるのはあくまでも個人の人生経験であり、新しい経験が重みを持つのは、自身の過去の経験に照らしてだ。

株式市場データは、他にも人間の意思決定の興味深い側面を明らかにしている。ひとつは、経験の影響の「領域固有性」だ。経験は、同じ領域での意思決定についてのみ重要となる。例えば、株式市場での経験は債券市場での投資には影響しないようだ。研究では、領域固有の経験は、株式や債券のリターン以外にも及びうることが明らかになっている。東西ドイツ人の株式市場投資に関する関連研究は、共産主義体制下で暮らした人々は、ドイツ統一後何年も、何十年も、株式市場を信頼し、株式投資をする傾向が格段に低いことを示している。株式市場は資本主義の頂点であって一部の人のためにしかならない、という感情的なプロパガンダに長年さらされてきたことの影響が残っているようだ。

私たちの知覚に影響を与える感情もまた、別の役割を果たす。株式市場と資本主義の害悪を最も強く主張したのは、共産主義体制下の東ドイツで、共産主義の名高い都市に住むなど、金銭的な尺度以外でもかなり良い暮らしをしていた人たちだった。しかし東ドイツの深刻な大気汚染や宗教弾圧などにより共産主義政権下で苦難を味わった人たちは、ポスト共産主義の市場経済を受け入れる傾向がはるかに高かった。

そうした経験の影響は、人生のほぼすべての面に当てはまるようだ。失業経験は傷跡を残し、消費者は安定した高給の職を得て何年も経った後も慎重になる。自己資本比率が悪化している銀行は、他行よりも資本増強して対応する。債券市場で実際にリターンを得た経験は、債券投資に影響する。社会経済的地位の高い人ほど、楽観的な経済的見通しを持つ傾向がある。

政策当局者が頻繁に検討するもうひとつのマクロ経済的変動要素がインフレ率だ。そして、ご想像の通り、インフレ経験は、インフレに関する人の信念や意思決定に顕著な影響を及ぼすようだ。インフレ期待に関する 50年以上の調査データを用いた研究で、人がそれまでの人生で見てきたインフレ率の平均値が、その人が実際に予測する期待インフレ率に強く影響することが立証されている。そしてそのような経験に基づく期待は、住宅を購入するかどうかなど、現実の重要な結果を左右する。賃料よりもむしろインフレ対策が住宅を購入する重要な動機であることがわかっている。そのため、高インフレを経験した人は賃貸よりも住宅購入を、そして変動金利よりも固定金利の住宅ローンを選択する傾向が高い。インフレ率や金利の上昇に対する防御のためである。

経験の影響が及ぶ範囲はさらに広い。米国の連邦準備制度理事会(FRB)が観察し、他の多くの国でも指摘されていたインフレの謎のひとつに、常に女性のほうが男性よりインフレ期待が高いというものがある。男性と女性の経験に重要な違いがあることを立証して経験の影響を考慮すると、この謎が解ける。その経験の重要な違いとは、食料品の買い出しだ。女性のほうが自身の男性パートナーよりインフレ期待が高かったのは、食料品の買い出しを主に女性が担っている世帯においてのみだった。食料品価格はインフレ率が高いか、少なくとも変動しやすい。そして以前の研究からもわかっている通り、消費者は値上がりには強い関心を示す。そのため、食料品の買い出しを担う人のインフレ期待が高くなる。男性よりも女性が食料品の買い出しを担うことが多いというジェンダーロールが変わらない限り、男女の経験が異なり、それに応じた男女の信念も異なるという傾向は今後も変わらないと思われる。

政策当局者のバイアス

専門家である政策当局者でさえ、経験の影響で想定された通りに行動する。(結局のところ、政策当局者も人間の脳を持っているのだ。)FRBのインフレ予測には、自分たちが経験してきたインフレ寄りのバイアスがかかり、専門家アナリストの予測からは離れがちだ。そしてこのバイアスはFRBのインフレ予測の精度を落とす。

その極端な一例が、1920年代のドイツでハイパーインフレの中で育ったのちにFRB理事となったヘンリー・ウォーリックである。ウォーリックは在任中、理事会の決定に対して過去最多となる27回、反対意見を表明したが、それは、FRBがより一層インフレを懸念すべきだと考えたためだ。

危機下での経験が衝撃的であればあるほど、人は何年経ってもその影響を引きずる。

経験の影響の4つの重要な特徴は、政策当局者でも一般の人でもまったく同じで、以下の通りだ。

  • 経験の影響は長期にわたり持続する
  • より最近の出来事が重視される
  • 経験の影響には領域固有性がある
  • 経験に基づく信念がどれほど曲解されたものだったとしても、学習された知識が経験に基づく信念に及ぼす影響はごくわずかである

したがって、経験の影響は、いくつかの重要な側面において、危機対応の介入策やプログラムに役立つ。第一に、政策当局者は一般的に、危機を早期に解消することとそれに要するコストというトレードオフに直面する。経験の影響は長期に及ぶということを考えれば、危機の早期解消の利点が際立つ。例えば、最近のインフレ期が信念に及ぼす影響は、物価の変動に対する人々の反応を長い間左右しかねない。インフレ期間が短く穏やかであればあるほど、長期に及ぶ傷跡は浅くなる。逆に、危機下での経験が衝撃的であればあるほど、人は何年経ってもその影響を引きずる。世界恐慌が一例だ。

第二に、経験の影響に関するエビデンスは、当局者が政策の対象者となる様々な層の経験の違いを考慮すべきだということを示唆している。同じ介入策であっても、人々の行動や見通しが過去の出来事にどう影響されてきたか次第で、反応は大きく異なるかもしれない。いずれの政策も、国・年齢・性別のコホートごとに微調整するか、少なくとも生涯にわたるエクスポージャーの違いを考慮することができれば理想的だ。

最後に、経験に基づく学びは政策への支持を形成し、単に情報を得るアプローチに代わる確かな選択肢となる。試験的な介入策などの直接関与は、理論的な説明よりも顕著に選好に影響を与えうる。米国の医療保険制度改革法(ACA)がその一例だ。政府管掌健康保険に加入し、直接的・即時的な恩恵を受けた人は、ACAを支持する傾向が高かった。当初は懐疑的だった共和党支持層は、政策支持に転じる傾向がとりわけ高かった。これは、経験が党派心を乗り越えうることを浮き彫りにしている。試験的プログラムは、政策当局者が新たな政策を試して世論にどう影響するかを測る道を開く。試験的プログラムの参加者がポジティブな経験をすれば、一般からの根強い支持の醸成と確保につながるだろう。

ウルリケ・マルメンディアは、カリフォルニア大学バークレー校の金融・経済学教授。

クリント・ハミルトンは同校のハース・スクール・オブ・ビジネスにて博士課程に在籍。

記事やその他書物の見解は著者のものであり、必ずしもIMFの方針を反映しているとは限りません。