シリコンバレー銀行の保険対象外預金を保護するというアメリカ政府の決定は、自由市場の規律を損なう
破綻したシリコンバレー銀行(SVB)の保険対象外の預金者を救済する必要はあっただろうか。25万ドルを超える預金は保険対象外だと皆が知っていたとしても、保険対象外の預金が全額保護されていなかったら、パニックが銀行システム全体に波及していたに違いないというのが救済の論拠である。他の銀行でも大口預金者が預金を引き出し、金融の安定が損なわれただろうというのだ。
その通りかもしれない。しかし、大口預金者が金融安定の名目で常に保護されるのであれば、そうした預金者がせめて保険対象預金に課される保険料を負担しないのはなぜだろうか。企業の財務担当者にとって、銀行の取引口座に資金を置いておくリスクを軽減する低コストの方法はたくさんある。給与の支払いやその他の当面の取引に必要な額だけを要求払い預金(当座預金)口座に預け、近いうちに必要となる追加の現金を流動性の高いマネー・マーケット・ファンド(MMF)に投資しておくことが可能だ。しかしながら、あまりにも多くの企業が初歩的なリスク管理を実践していなかった。ロイター通信によれば、ストリーミング機器メーカーのロク社は、SVBに4億5,000万ドル超を預金していた。SVBの株主は当然のことながら全滅となり、経営陣も解雇されたのに対して、大口預金者は政府によるルール変更のおかげで無リスク資本主義の恩恵にあずかることになった。
SVBの大口預金者に対してはヘアカットを課すこともできただろう。米連邦預金保険公社(FDIC)による過去の介入事例に基づくと、ヘアカットを行っていた場合、保険対象外の預金者が被った損失は預金残高の約10%であったと考えられる。その場合、顔を赤らめた企業の財務担当者が数名、当然の報いとして仕事を失うことになっただろう。そして、他の銀行への波及の兆候が見られたならば、イエレン米財務長官が最終的にそうしたように、政府は包括的な暗黙の保証を発表すればよかった。その際、FDICは200億ドルを節約し、リスクを取った者の少なくとも一部はその結果に責任を負うという原則も維持できたはずである。そうすれば、SVBのケースは逸脱としてとらえられることはなく、無リスク資本主義へのさらなる試みを誘発する可能性が高い前例とはならなかった。そうではなく、無能な者にはペナルティを課す資本主義とみなされただろう。
より一般的には、米連邦準備制度理事会(FRB)の独自の調査が示しているように、SVBは「銀行による教科書的な経営失敗ゆえに」破綻した。であれば、逃げ足の速い保険対象外の要求払預金は、システムのバグなのではなく、特色のひとつであり得る。保険対象外の預金者が注意を払えば、無能あるいは強欲な銀行経営を素早く止めることができ、納税者が莫大な額を節約することにつながる。規制当局者が「今はモラルハザードを心配する時ではない」という陳腐な理由を持ち出して保険対象外の預金者が麻痺してしまうと、彼らは将来的に注意を払わなくなる。救済の意向を繰り返し示す政府は、次回は同じではないと述べても信頼性がほとんどない。
政府の決定は、大規模なロビイングを受けたものだった。それには、ベンチャーキャピタリストから寄せられた助けを求める多くの叫びも含まれる。クラフト・ベンチャーズのデビッド・サックスは、「銀行規制当局者に対してシステムの健全性を確保するよう求める。アメリカの預金は安全かそうでないかのどちらかだ」とツイートした。ヘッジファンド界の巨人で億万長者のビル・アックマンは、「民間資本が解決策を提示できない場合には」、政府による救済措置が検討されるべきであるとツイートした。救済を称賛した政治家のひとりに、ニューサム・カリフォルニア州知事がいる。オンラインメディアのインターセプトによると、同知事のワイナリーのうち3件がSVBの顧客であったほか、妻の慈善団体の理事会にSVBの役員のひとりが名を連ねているという。ニューサム知事の保有資産は、2018年に知事に選出されてから白紙委任信託に移されていた。
システムの保険ルールを大口預金者に有利な形で曲げることができたことは、われわれが20年前に著書『セイヴィング キャピタリズム』で指摘した由緒あるシカゴ学派経済学に内在する矛盾を思い起こさせる。シカゴ学派は、一方では、自由で公正な市場の機能には明確に定義され正しく執行される財産権の存在が何よりも必要であると主張する。他方で、いかなる形の規制も既得権益によって取り込まれがちであると論じる。もし既得権益による規制の取り込みが可能であるなら(実際、SVBに関するFRBの事後検証報告書では、2019年にSVBのような銀行に対して業務の透明性低下と検査緩和を容認するルール変更があったことが認められている)、既得権益による財産権の定義・執行の取り込みが不可能な理由はあるだろうか。強力なベンチャーキャピタリストが、何らかのより大きな公共財を引き合いに出して、保険対象外の預金を保険対象のものに端的に定義し直すことができない理由はどこにあるだろうか。
それが可能であるというなら、自由企業資本主義は小さな政府によって必然的にもたらされる産物なのではなく、政治の創造物であり、それは非常に特定的な条件下でのみ発展・存続しうることになる。さもなくば、そうした資本主義が向かう自然の状態は、市場志向の資本主義ではなく、見境のない縁故主義(クローニズム)であるか、より穏当な形としては企業志向の資本主義となる。
われわれの著書では、金融市場の発展と存続に焦点を当てた。それは、金融市場がおそらく最も脆弱であるからだが、われわれの議論はより一般的なものである。われわれは、「資本主義にとっての最大の政治的な敵は、システムに辛辣な言葉を浴びせる扇動的な労働組合ではなく、ピンストライプのスーツに身を包み、口を開くたびに競争市場の利点を称賛しながら、あらゆる行動においてそれをなくそうとしているエグゼクティブである」と論じた。資本家らは、市場を創出したり支えたりする代わりに、市場の機能を損ねているのだ。彼らは競争市場そのものだけでなく、市場の機能を可能にしている諸制度にも脅威を感じているからだ。「経済的な強者は、自由市場を支える諸制度に懸念を抱いている。というのも、そうした諸制度は人々を平等に扱い、権力を不必要なものにするからだ」。
われわれは、「市場は政府のよく見える手なしには繁栄することはできず、それは、市場参加者が自由にかつ信頼感を持って取引できるようにするインフラの整備と維持に必要である」ことを認めた。しかしそのことは、誰が「政府に競争市場を支えさせることに利益を見出すのか」という問いを生む。「競争市場によって可能になるより良い製品、サービス、アクセスの平等は全体としては各人に恩恵をもたらすが、特定の者がシステムの競争性と公平な競争環境を維持することで大きな利益を得ることはない。したがって、誰にとっても、ただ乗りをし、システムの擁護を他の者に委ねるインセンティブが存在する」。
であるとすれば、自由企業資本主義は決定論的な進化プロセスの最終段階なのではない。「むしろ、既得権益という雑草による絶え間ない攻撃から守りつつ育てる必要がある繊細な植物と考えた方がよい」。
われわれは、この繊細な植物の生育を促進するのに必要な4つの条件を特定した。第1に、非常に強力な既存企業が存在してはならない。その代わりに、各企業の力はあまり大きくないものにとどまっている必要があり、その結果、国が公平な執行者としての役割を果たすことが必要になる。
第2の条件は、効果的な福祉制度である。「競争は倒産を引き起こす。こうした倒産は創造的破壊のプロセスにとって不可欠であるが、その影響を受ける人々にとっては非常に大きな痛みを伴う。彼らに課される調整コストが大きければ大きいほど、あるいは苦境に陥る人々が多ければ多いほど、介入に対する政治的要求は強まり」、それは容易に操作可能となる。救済が政治争点化するのを防ぐひとつの方法は、影響を受けた人々に基本的な支援を直接提供する明示的なセーフティネットを備えることである。企業は倒産すべきだが、人々はそうではない。
第3の条件は、既存企業を、非効率な企業を保護しない他国の企業と競争させることにより、その力を低下させることである。「既存企業の立法への影響力を弱める最も効果的な方法は、国際競争に対する国内市場の開放を維持することだ」。銀行業界が最も政治的影響力の大きい業界のひとつであるのは偶然ではない。銀行業界は、事業が国内に大きく集中しており、国際競争に真に直面していないからだ。
最後に、われわれは、自由で競争的な市場が不可欠であることについて一般の人々を説得する必要があると考えている。「より広範囲の人々が自由市場の利点を目にして、その政治的な脆弱性を理解すれば、狭い利益集団が自らのアジェンダを押し通すことはより難しくなるだろう」。
今日、SVBのベイルアウトに対する関心がこれほどまでに薄いのはどうしてだろうか。現在のアメリカの状況は、われわれが本を執筆した時に比べて、競争市場をもたらしにくくなっているのだろうか。いくつかの点では、当惑させるようだが、答えは「イエス」である。
われわれが挙げた条件について、順番を逆にして検討してみよう。2008年に始まった世界金融危機の最中に銀行の直接的な救済が大規模に行われ、また、パンデミックの最中には(世帯や企業への給付が実施され、銀行ローンの返済に充てられたという形で)間接的な救済が行われた後、現在では周期的な銀行救済は不可避であると見られており、学問的にも立派な地位を得ている。
さらに、本来であればそのような縁故主義に関連した非効率性を浮き彫りにするはずのシステム間の競争も、多くの場合地政学的懸念を隠れ蓑にした旧式の保護主義によってますます脅かされている。同じような価値観(ついでに言えば同じような既得権益)を有する他国との貿易のみに重点が置かれる場合には、全員が同じような非効率性に悩まされることになり、競争を通じた変革への圧力は小さくなる。2008年には、ドイツ、イギリス、アメリカが立て続けに銀行を救済した。
市場の逆境に関連した損失の発生を目の当たりにすることを先進国がそれほどまでに躊躇する理由のひとつは、おそらく、有権者の怒りを恐れているからだろう。有権者は、資本主義による利益が公平に分配されておらず、競争、とりわけ国境を越えた競争は不公正だと考えている。しかしながら、そうした恐れは非効率な慣行を固定化し、無能な企業を温存することになる。実際、自由市場による失敗に対するペナルティが排除されることで、無能な企業の行動が悪化する。
最後に、SVBはアメリカで16番目に大きい銀行であるにすぎなかったものの、その顧客には非常に強力で政治的なつながりを持つベンチャーキャピタリストや企業が含まれていた。市場支配に関する通常の指標を用いる反トラスト当局であれば、関心を示さなかったであろう。影響力について理解している当局は懸念を抱いている。われわれは、企業の政治力を制限するために、政治的影響力に基づいたより良い指標を開発する必要がある。
記事やその他書物の見解は著者のものであり、必ずしもIMFの方針を反映しているとは限りません。